彼は、普通の中学生だった。
 特にクラブ活動もしていないので、朝はゆっくりと起き、
 特に急ぐでも無く、適当な速度で歩いて学校へ行き、
 学校ではクラスの友達と適当に遊びつつ、授業を受け、
 時には授業中に足りなかった睡眠を補充し、
 時には別の授業でやっていなかった宿題をやったり、
 給食を友人達と食べて、
 午後の気だるい掃除と、授業を受けて、
 学校が終わったら、今日は何処いこうかー、とか話ながら帰る。


 ただそれだけ。たったそれだけの日常を過ごしていた。
 彼にとってそれは、極々当たり前な生活であり、面白くもあり、たまにつまら
なくも感じる、そんなごくごく普通の日々。


 そしてそれは、ある少年からしてみれば望んでいる生活だった。
 ある少年は、万引きの常習犯ということで、少年院へと送られてしまった。
 少年院で待っていたのは、毎日毎日の厳しい労働、まずくはないけど美味いと
感じる事もできない食事。脱走をしよう、なんて実行できもしやしない事を掲げ
て、周りに新しい子分を増やす、部屋のボス猿。そして考え無しにボス猿につい
ていこうという、または、逆らっちゃ行けない、と勝手に考えて、ボス猿に必死
に媚を売る下っ端の猿。
 何一つ、面白いことなんてありはしない。
 少年にとっては、元の生活に戻ることが、唯一の生きる希望だった。


 
 街。街には人が溢れている。色々な人が混ざって、ごちゃごちゃしている。
 街で一番大きなデパートは、十年ぶりの改装工事と意気込んで、大金をつぎこ
んで、デパートの改装に着手をした。
「オープンは三日後、でも改装は五割くらいしか進んでないな・・・」
「そうだなぁ、まぁ、何とかなるでよ」
 弁当を食べながら、作業員達がひとときの休憩を堪能していた。彼らの後ろで
は、ニュースキャスターがテレビの中で、今日のニュースを淡々と読み上げてい
た。
「本日、田中総理は憲法第九条の改定案を発表、これに対し、戦争に反対する各
団体からの、総理に対する批判の意見文が続々届いているそうです」
 画面は切り替わり、『戦争断固反対!』や『悲しい歴史を繰り返させるな!』
などの立て札を持って、国会議事堂の前に居座る男女の十人くらいの集団が、議
事堂に向かって看板と同じような事を叫んでいた。
「我々は、必ずこの法案を却下にしてみせます! 皆さん、私達と一緒に戦いま
しょう!」
 リーダーのような、初老の男が、カメラに向かって、拳を振り上げて豪語した
。
「こんなもん、意味があるとは思えねぇけどなぁ……」
 弁当を食べ終えた作業員達は、さっさと作業に戻り始めた。
 そのデパートの両隣には、全国チェーン展開をしている二つのハンバーガーシ
ョップが建っている。最近の若者の流行は、こういった食事である。『ジャンク
フード』、安いが美味くない食べ物の意で呼ばれる事がある。
 街のとおりでは、子分を引き連れた暴走族のリーダーが、我が物顔で街の中央
をのっしのっしと歩いていく。

 これが、今という時代の街の一つである。


 普通の生活を送っていた中学生の少年が高校生になる頃、少年院の少年も無事
出所していた。
 しかし、彼には学校はおろか、就職先だって見つからない。その事を両親は心
配したが、少年は大学入試資格検定、通称『大検』を受ける事で、大学に行くか
ら、と親を説得した。 両親も、少年を信用し、彼を塾に通わせた。


 少年は、初めこそ戸惑いがあったが、次第に勉強のコツをつかみ始めると、あ
っという間に力を伸ばし、わずか2年で大検に合格する事に成功した。
 努力すれば叶う、それを少年は実感した。


 それから1年して、高校生による悲惨な殺人事件が放送された。
 内容は、とある高校に在学中の高校生が、老人一人を刺し殺した、というもの
で、被害者の老人は、とある戦争に反対する団体のリーダーだったという。
 高校生の少年は、事件の動機をこう語った。
「つまらない日常が変わるか、と思って刺した。 ただそれだけ」
「だって、つまんないじゃん。 皆もそう思わないの?毎日毎日、やりたくも無
いことをやってさ、美味いんだかまずいんだかも分からないような飯を食って、
政治家は実行もできないような事を行って、人を集めて。 でもやっぱりできな
くて。 こんな世界で僕はこれから何十年も生きていく、と思うと、吐き気がし
てくるよ」
「だから、普通はやらないような事をやったら、世界が変わるかな、て思って刺
しただけ」


 そのニュースを、少年は古びた電機屋から流れるラジオで聞いていた。少年の
目は、検定に向かっていた頃の輝く目ではなく、曇った、まるで何も見えていな
いかのような、虚ろな瞳をしていた。
 口からは、だらしなくよだれが流れ、手足は、寒さに震えるように震えていた
。
 好奇心から始めた覚せい剤は、彼をそれ無しでは生きる事のできない体へと蝕
んでいた。
 最初は、少年も『なんて馬鹿な事を』と自分の行動を呪ったが、今となっては
どうでもいいことだった。
 どうでもいい、それは彼自身の体のこともあるが、彼にはもう一つ、どうでも
いい事がある。それは、昔、彼が切願していた、この世界、この生活、この日常
。
 少年院にいる時は、この世界、日常が輝いて見えた。少年院、牢の中にはない
ものがたくさんあるこの世界に戻る事を切願した。
 
 しかし、いざ戻ってくればどうだろう。
 
 毎日毎日の嫌な労働、まずくはないけど美味いと感じる事もできない食事。改
革をしよう、なんて実行できもしやしない事を掲げて、周りに新しい子分を増や
す、国のボス猿。そして考え無しにボス猿についていこうという、または、逆ら
っちゃ行けない、と勝手に考えて、ボス猿に必死に媚を売る下っ端の猿。

 その世界に、牢の中と違う世界なんて、ありはしなかった。
 牢から出たのに、世界なんて全く違いはしなかった。
 

 こんな世界で、生きていく事に意味なんか見出せない。
 彼の出す結論は、皮肉にも、ラジオで聞いた高校生と同じものだった。

 

 十分後、彼は階段を昇っていた。
 所々に錆びのある階段は、一段昇るごとに、乾いた音が響く。
 その建物の屋上まで上ると、彼はフェンスを乗り越えた。
 もう一歩踏み出せば、そこに地面は無い。あるのは、濁った空気のみ。
 別の世界への入り口。そして、行ったら戻ってこれない片道切符。
 御代は
「俺の命でございます、てか……」
 自嘲気味に少年は笑うと、その片道切符を掴んだ。







 電車の中で、彼は一つの事を思いだした
 自分の一年前の姿、大検を取ろうと必死になっていた姿
 あの時の自分は、けして汚い世界の住人なんかじゃなかった
 じゃあ、あの時の世界は別世界?
 いいや、そうじゃない
 あの時も今も、紛れも無く同じ世界
 そうだ、きっと……
 世界が汚れていても、昔の俺のように
 輝いている人がいたのかもしれない
 でも、汚れた世界でそれは目立たなかっただけ
 あぁ、なんてこと
 そこに気が付いていたら
 僕は、汚れた世界に住んでる輝いていた自分に
 何の疑問も持たず、ただ頑張ってられたのに
 だったら、もどりた

 電車は、唐突に終点に着いてしまった。


 今のこの国は、確かに汚れてるのかもしれない。
 そしてその汚れで前が見えなくなって、時々、自分と世界の不調和に疑問を感
じる事があるのかもしれない。
 でも、それは不思議な事ではない。
 周りが、世間が、あの人が、この人が。
 そんな事は関係無い。
 大事なのは、自分がどう思うか。
 そこに気がつけない人が、時々片道切符を持って電車に乗り込んでくる。

 切符を持って電車に乗る前に。
 ちょっと待って。確認したい。


 その切符、本当に正しいですか?

 HR、東異世界線
 
 

  end

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